2011年03月31日

悲しみを乗り越えるために‥‥

先週日曜日、ワークステージ同僚の関さんの親戚がいる釜石への用事に同行させてもらいました。

震災から2週間以上が経過した、初めて見る被災地。
同じ釜石でも市街地の山側はライフラインが復旧して、燃料や物資の不足以外は徐々に回復への道を歩もうとしているように見えました。
が、駅より海側は一変して激しい爪痕が今も生々しく残っていました…それでも主要道付近は随分マシになったとのことですが…駅の周辺には感染病予防のための石灰が撒かれていました。

ご親族の方の自宅のすぐ近くまで津波は押し寄せました。幸い家屋への浸水や倒壊は免れて避難所から自宅への生活に戻ることができたそうですが、未だ電気は復旧せず水は山から引いたものを地域の方と共用して利用していました。
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海外からの救援隊が捜索した確認の印が、家の壁や車に所々スプレーされていました…

親戚の方の無事を確認して、少しばかりの灯油や生活用品を届けたあと時間ができたので、駅裏にある救援物資受付所に行き、銀河の里のお米を提供しました。巨大なテント内には大勢の人手や物資が集まっていました。担当の方は「野菜が欲しい」と訴えていました。また、隣接する災害ボランティアセンターを訪ね、わずかな時間でも何かできることがないか唐突に聞いてみたところ、オムツの引取り依頼があった店から病院への配送を手伝うことになりました。

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港に近い浜町は、あまりの被害に現実感がなくなって、失礼な表現ですがあたかも映画のセットのなかにいるような錯覚を覚えました。慌てて持参していた長靴に履き替えてヘルメットを被り、お店に押し寄せた1階のガレキの山の奥に2階から集め降ろしてあったオムツを車に積み込んで、何とか届けることができました。

夕方、再度港を見てまわりました。
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歪んだ鉄骨、奥にみえる倉庫やクレーンの損傷が、津波の凄まじさを物語っています。

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せり上がって傾いた岸壁と、破壊された魚市場

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あり得ないことに、大きな貨物船が完全に港に乗り上げて堤防を突き破って鎮座しています…

日没前、大槌にも行きました。
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町の一部は津波の後に火災に見舞われ、焦土と化してしまいました…

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波と瓦礫の衝撃で完全に曲がり折れたガードレールの支柱

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戦争を経験していませんが、町全体がほぼ跡形もない瓦礫と化した姿は映像や資料で見た大空襲の痕のようでした…

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本来ならば、この位置から海は見えないとのこと。沖の防波堤が崩れ、押し寄せた津波があらゆる建物を飲み込み、風景は一変しました…

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映像やニュースでは見ていたものの、実際に訪れて余りの惨状に何も言えなくなりました…。
簡単に「頑張ろう」とか「復興を」なんて言うことがはばかれるくらい、どこから手をつけたらよいのか分からない膨大な瓦礫の量です… 追い討ちをかけるように降る雪と寒さに「どこまで苦しめたら気が済むんだ!」と言いたくなります…


一昨日の岩手日報…陸前高田の空撮写真
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一昨年の夏、グループホームのみんなとバーベキューをして泳いだ高田松原の浜と松並木…跡形もなく流されましたが、奇跡的に1本だけ生き残った松の木があって復興へのシンボルとなろうとしているそうです…


瓦礫の撤去や町の再建、そして海の再生は長い長い道のりで先行きが見えないけれど、未来を信じたい…できることは限られていてもどかしくもあるけれど、まずは本業をおろそかにしないよう頑張って、できることは協力して現地にも足を運んでずっと見守っていきたいと、思いを強く持ちました。

【ワークステージ ささきてつや】


posted by ginga at 01:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 震災復興関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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