あれから4ヶ月以上経ちました。
3/24に撮った、同じ場所です。
人間や機械の力って、凄い。
瓦礫も防波堤代わりなのでしょうか‥‥気がつけば山になっていました。
お手伝いさせていただいた避難所も、仮設住宅へ皆さん引越しすることとなって最後のバザーが行なわれました。
これまでのメンバーに加え、ご近所の仮設住宅から集まってきた方も。北上のこけめ農園さんの仲間たちと一緒にたすきバックもお届けしました。こけめさんから借りてきた、植木運搬用の幌付きトラックは棚もあって便利だなぁ〜。
ちょっと声かけが遅れてしまったけど、最後まで残ったメンバーの方々を撮影させていただきました。写っている皆さんに写真、必ずお渡しします!
波板海岸 上の住宅地。
食堂&民宿を切り盛りしている女将さんが自宅の一部を開放して、近隣の被災された方々に支援用品を配布する場となっています。
賑やかで、いい笑顔!
帰路、はじめて駅をみました。
作動してない踏切に入り、ふと線路をみると‥‥草が伸びていました。
復興していく場所と、まだまだ先のみえない場所があることを感じ、茫然としていたら、踏切のすぐ前にあるお宅のおばさんと目が合いました‥‥
「あれっ、この前お会いした‥‥!!」
前回お届けしたときに、受け取ったたすきバックに感激して「手紙を書きたい」とわざわざご自宅から会場に戻ってきて気持ちを伝えにこられた方でした。今回も受け取ったそうで、会場では気づかなかったので思わぬ嬉しい再会となりました。
「鉄道が来なくなったから、線路に草が生えちゃったんですね」と言うと、
「草を刈り始めたんですよ。ほら、手前のほうから。どんどんすたれていくのが辛くてね‥‥」と。
津波は、いまおばさんが写真を撮らせてもらった足元まできたそうで、ただ立ち尽くすしかなかったそうです。津波のあと、すぐに炊き出しに加わり、親戚などを頼って避難してきた方々を受け入れてきました。
少しずつ近所の方と始めたという線路の草刈り。奥から先の線路は無くなったままです。
いつ復旧するのか、同じ場所に再建されるのか、まったく先がみえなくても鉄道がいつ来てもいいように、その日を信じて動かずにはいられないようでした。
波板海岸から
吉里吉里へ
橋の柵は海側に傾いていて、引き波の勢いの凄まじさを物語っています。
45号線沿いにある、再開した「仮設コンビニ」。
解体した建材から釘や金具を抜き取って薪用として袋詰めされて全国各地に販売している、「復活の薪」プロジェクト http://kirikirikoku.main.jp/ が、今もまだ避難所となっている中学校の脇で行なわれています。
注文に生産が追いつかず、ほんの少しの時間だけでもよいから釘抜きなど手伝ってほしいと、ボランティア募集しています。
支援に感謝し、自立して再生していこうという想いをあらわしたのぼりや看板が、道の至るところからみえました。
大槌は「ひょっこりひょうたん島」のモデルとなった蓬莱島のある地域。夕方の時報に町内放送で流れる主題歌の歌詞そのままが、想いとなっています。
釜石から遠野へ戻る国道沿いには、地域住民の気持ちをことばにした看板が等間隔に立っていました。
そういえば6月頃だったか、支援活動の帰り道に釜石の市街地の橋のたもとに「支援に感謝します」という内容の横断幕を両手にもって通り行く車にひたすらお辞儀をしている方がいました。
目頭が熱くなりました。
震災前までは道沿いの看板や垂れ幕に、あるいは歓楽街や住宅展示場の看板持ちの人に感動を覚えることなどなかったけれど、こういった気持ちの表わし方に自然とこみ上げてくるものがあります。
被災された方々の仮設住宅への移動とともに、物資提供という支援の第一段階はひと区切りを迎えました。けれど、復興への道のりはまだまだこれからだと思います。
新たな正念場を迎えるなか、どういう支援のお手伝いができるか‥‥私たちも考えながら模索して、今後の復興への一助になりたいと思っています。
ということで、8/7(日) 銀河の里の夏まつりでは、純利益のすべてを被災地への支援活動資金に還元します!
当日は復興支援ブースを設けて被災地を直接応援できる商品や活動なども紹介します。もちろん毎年好評のバザーで掘り出し物や、里でつくられた野菜を使ったカレーやおなじみの餃子&焼売も味わったりと、楽しんでもらえます。
さらに花巻中学校ブラスバンド、銀河さんさ隊によるさんさ踊り、そして5月にも来て熱い演奏を魅せてくれた「TAYUTA(たゆた)」のライブが行なわれます!
ぜひぜひ、遊びに来て覗きにきてください!
無理なく、ときに楽しみながら、できる支援やお手伝いをご一緒しませんか?
お待ちしてます!
【ワークステージ ささきてつや】