9/4、11と二週に渡って週末に陸前高田を通って大船渡へ行ってきました。
陸前高田へ南下する途中、気仙川沿いを下ってくるとまだ街や海が見えてこないのに川沿いの木々が枯れていることに気が付きました。
ここは気仙川河口から約6〜7キロも津波がさかのぼってきた地域でした。
たまたま農作業をしていたおばあちゃんに声をかけてみました。
津波は道路すれすれまであがってきて、「まるで川が海のようだった」とのこと。
畑は完全に水没して、瓦礫だらけだったそうです。
8月には藪から警官の方のご遺体が見つかったそうです。「お盆前でよかった‥‥」としみじみ語っていただきました。
ボランティアなどの力も借りてようやく片付いたのは、比較的最近だったようです。
「大根の種蒔いてみたけど、どうなるかね〜。いちおう芽が出てきたけどね」と、一見整然とした姿を取り戻したかのような畑も塩害で作物が育つかどうか、不安と期待が入り混じったご様子でした。
どうか枯れずに育ちますように‥‥。
被災後、陸前高田のシンボルとなった一本松。
間近では見れなかったため、対岸に車を止めて歩いて堤防の上に行くと、しばらく前に誰かがお供えしたような跡がありました。
とまった時計の針は、津波の到達時刻だったのでしょう‥‥
3年前の夏にグループホームのみんなと海水浴とバーベキューをしに来た海沿いは、あとかたもなくなっていました。
それでも少しずつ復興へ。
木材を細かくチップに処理する建機が持ち込まれ、稼動していました。
向かった先は、大船渡市の末崎地区。
9/4は中学校のグラウンドにある仮設住宅へ。
体育館を衣服や食器など支援物資の配布会場にさせてもらいました。
今回も、北上・さん食亭(こけめ農園)のメンバーと協働して支援バザーとたすきバックの配布会を行いました。アイスをごちそうになりながら、記念撮影。
いままでにない規模(200人以上)での配布会だったため、混乱や不平がないかと心配でしたが、地元の方々の主導がきちんとしていて大勢の方に利用していただくことができました。
その場で「うちの仮設にも来てほしい」と声がかかり、すぐ近くの小学校にある集会場を訪ねました。
子どもたちのにぎやかなこと!!(※ここに子どもたちとたわむれている銀河の職員がいます。どこでしょう?)
ここの集会場で、9/11に配布会を行いました。
遠目には穏やかな海が眼下にひろがるのどかな末崎地区も、浜の前にあった集落は壊滅的な被害を被りました。
大船渡へ向かう帰路。
地盤沈下で漁港の岸壁が海面すれすれになっていました。満潮時は道路も冠水しそうです。
震災後、初の大船渡の景色。
高台と湾が入り組んでいる大船渡は、他より瓦礫の撤去が進んでいないようにみえました。
対岸の赤崎地区に寄り、被災して1階が冠水した建物を片付けて「復興さんま」の箱詰めを再開された、森食品の代表の方に会ってきました(たすきプロジェクトの代表・堀内さんからの紹介です‥‥写真なくてすみません)。海に生きる粋な男っぷりを垣間見させていただきました。
後日、さっそく水揚げされたばかりのさんまを注文して送っていただきました。
里の職員や利用者さんみんなの口に届きました。新鮮で旨い!!
今後も復興していく姿を伝えたり、自分達にできる支援やいろんなかたちで活動のお手伝いなどできたら‥‥と思っています。
あらためて犠牲になられた方々のご冥福をお祈り致します。
【ワークステージ ささきてつや】